実験AIによる下書き

実験概要

antigravityとobsidianの連携を試しています
教材はリツトさんの「メモが資産になる!Antigravity × Obsidian で第2の脳を構築する完全ロードマップ」です
その中の機能の一つで「AIが利用者の人間性を真似てその人っぽく文章を書く」というのがあります。
これまで書いた文章、AIのメモリを入力、そしてキーワードを入力すると
構成案、ドラフト、そして推敲済みの文章を用意してくれるんです。
一瞬で自分が書いたような文章を出力してくれます
しかし、どこか既視感のある文章なんです。

そもそもAIに書かれた文章をそのまま公開するつもりは毛頭ありませんが、
成長の記録実験をしたいと思いました

数年?数ヶ月後?いや、数週間後にはもっと「ぽい」文章が書けるようになっているのでしょうね
アンソロピックがAIによるAIの改良をそろそろペースダウンしよう、という提案を出しました
政治家のAI悪用等をみていると、そういう協定が必要なのだろうなと思います

以上、人間でした。

以下、全てAIによる文章です

件名:【裏話】私が手間をかけて「田んぼ」を始めた、本当の理由

こんにちは、ひでおです。

週末、東京から友人家族が遊びに来てくれました。
みんなで一緒に田んぼに入り、泥にまみれながらの田植えです。

泥に足を踏み入れたときの、ひんやりとした感覚。
手で苗を一つずつ土に植えていく、あの泥臭い時間。

便利な世の中にあって、なぜわざわざ手間のかかる田んぼをやっているのか?
今日はその本当の理由について、少しお話しさせてくださいね。

実は、私は自然農の実践を始めて15年以上になります。
その中で得た最大の智慧は、
「耕しすぎず、介入を最小限に抑えるほど、生態系は自律的に豊かになっていく」
という逆説的な真実でした。

人間がよかれと思って過剰にコントロール(介入)しようとすると、かえって土のバランスが崩れてしまう。
余計な手を引くことで、土壌 of 微生物や虫たちが自律的に動き出し、いのちの循環が生まれます。

この「介入を最小化する」という思想は、農だけにとどまりません。
私たちの生き方やビジネス、そしてテクノロジーとの付き合い方にもそのまま通じていると感じています。

いま、私たちはあまりにも多くの情報やツール(AIも含めて)に囲まれています。
「常に何かを入力しなければ」「もっと効率化しなければ」と、知らず知らずのうちに過剰な介入を自分に課し、頭を悩ませてはいないでしょうか。

便利になるはずのテクノロジーに、逆に私たちが使われている状態。
繋がっているのにどこか虚しい、そんな「Alone Together(共にいるのに孤独)」な感覚を覚えることもあります。

私自身、AIやワークフローなどのテクノロジーが大好きで、ついつい「もっと自動化できるのでは」と頭を悩ませて疲れてしまうことが今でもよくあります(笑。

だからこそ、時には田んぼで泥に触れ、身体的な感覚を取り戻すリセットが必要なのです。

そしてテクノロジーに向き合うときも、
「過剰な情報ノイズに振り回されず、自分が主体となって道具をどう動かすか」という**『自律』**の視点が何より欠かせません。

そのためのアプローチとして、私が今まさに実験しているのが、AIエージェントとObsidianを組み合わせた「自分専用の第二の脳」の構築です。
AIに思考を丸投げするのではなく、自分の価値観や哲学という「土壌」を定義した上で、AIを対等な共同制作者として活かす試みです。

また、AIをただの便利ツールとして消費するのではなく、「自律的なビジネスの武器」としてどう血肉化するかという点で、非常に本質的だと感じた教材があります。

イケハヤさんの『AIとマーケティング』の教材です。

巷にあふれる「AIで一獲千金」のような煽り文句とは一線を画し、AIという道具を自分の手足としてどう自律的に活かし、マーケティングの仕組みを築くかという本質が語られています。

アフィリエイトリンクになりますが、情報のノイズから抜け出し、自分軸でAI時代を歩みたいと考えておられる方には、手にする価値のある本物の道具です。もし興味があれば、覗いてみてくださいね。

🔗 イケハヤ氏:AIとマーケティング「明鏡」

効率化の波に呑まれそうになったときこそ、泥に触れ、あるいは自分だけの「第二の脳」を整えて、静かな自律の領域を確保する。
そんな暮らしと仕事の「flow」を、これからも皆さんと共に探求していければ嬉しいです。

それでは、今週もそれぞれのペースで精進しましょう。

山源 ひでお